自分にとって正解のようなものが見つかった時、それは最大のピンチだ。




自己理解の仕事をしていて思う。

「正解を見つけた!」と思った瞬間が一番危険だ。

例えば、自己理解の全体像の正解のようなものを見つけたとき。

僕が伝えている自己理解の全体像

正解を見つけた瞬間の閃きはとても楽しい。

何が正解かが分からない状態で進んでいる時は、暗闇の中を手探りで進んでいるようで不安だ。

その暗闇のトンネルの出口がたまに見つかることがある。

これが正解を見つけるということ。

この自己理解の図と出会ったのも、そんな感覚だった。

どうやって整理して自己理解について伝えれば良いか迷っていた時に、出会った正解のような光だった。

出会った時にとても安堵した。

けれど、この正解は捨てないといけない。

なぜなら過去に自分が見つけた正解にしがみつくのは、現状維持であり、衰退であり、精神の老いだからだ。

「より良い正解はないか?」とまた暗闇の中に潜らなければいけない。

暗闇に潜るからこそ光を見つけた時に嬉しい。

ずっとぬるま湯に浸かっているとふやけてしまう。

自分にとって正解のようなものが見つかった時、それは最大のピンチだ。

そこで歩みを止めてしまった人からおじさんになっていき「まぁこんなもんでしょ」という、妥協感たっぷりの生き方に染まってしまいそうだ。

今の僕にはそう思える。

自分はまだ何も知らない。

だからこれからも夢中で学び続けて、前進し続けていくことができる。




八木仁平が記事を書く、もう1つの自己理解メディア